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2018年12月14日金曜日

こぶしに力の入っていることに気付いたのはずいぶん時間が過ぎてからだった。

光は3つずっと見えていた。見えていたような気はする。けれどそれは、うすぼんやりしていて真っ暗な光だったり、消えてしまっていたりしたようにもみえた。
手術のとき、ぼくは田中さんのことを考えていた。ような気がする。それとてずっと彼女のことだけを考えていたかと言えば、そうでもないような・・ずっと考えていたような、中途半端だ。それでも他の誰のことでもなく彼女のことを考えていたことは確かだ。
僕は何回も彼女を泣かした。大きな瞳からポロポロと涙を流させた。新宿地下街の人ごみの中、銀座の地下鉄通路、早稲田のホーム、西武新宿の改札前、上野公園・・・これは今思い出して、数えている。もっともっと・・残酷な若さだ。優しい人だった。聡明な明るい人だった。もちろん僕の方がふられたのだ。
思えば一度も一緒に山歩きをしなかった。彼女は高校時代ワンゲル部だったのに。一度も一緒に歌わなかった。彼女は歌が好きだったのに。コンサートのテープは聞いてくれたのに。一度だけ一緒に映画を見た。彼女の母親にチケットをもらったのだ。一度も一緒に芝居をみたことがない。僕の芝居は見てくれたのに。
僕は手術の間に、彼女のことを思っていた。何度も何度も歩いた中野から高円寺までの細道の風景を思い出していた。御茶の水駅前の、神田の本屋街のことを思った。早稲田通りの風景を思い出した。本郷三丁目の街並みを思った。大げさでなく数十年前の風景だ。