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2022年1月31日月曜日

コロナ禍だから,というわけではないけれど

 


友人が本を送りつけてきた。あまり仲がよかったわけではない。

むしろ,彼は僕のことが嫌いだったし,僕は彼のことが大嫌いだった。互いに互いが何を言っているのか分からない・・正確には,分からないのではなく認めたくなかったのだ。だから,周囲は僕らは仲が悪いと思っていたし,僕達はそれを否定しなかった。

だから,18年前,僕らは「じゃあな」と分かれた。それ以来,口もきいていなかった。連絡もなかったし,しなかった。

コロナ禍だから,というわけではないけれど,昨年末,突然,連絡があった。僕らは「元気だったか」とも言わず,「今,どうしているの」とも話さず,ちょっともめた。なかよく言い争いをした。

今日,30日,この本が届いた。チョムスキーの新刊だ。現在,90歳をこえる偉大な思想家のことを彼に教えたのは僕だった,むかしむかしのことだ。けれども,偉大な哲学者がこんな本を著したことを,僕は知らなかった。現役であるを知らなかった。彼は知っていたのだ。僕がそのことを知らなかったことを攻めてきたのだ。

はやく読み終えて,喧嘩しなければならない。

彼とは仲がよいわけではない。けれども,大切な友人なのだ。

2021年11月9日火曜日

昔話ばかりつぶやくのは年寄りだ。ぼく自身のことだ。

 


昔話は物語だ。はじめから物語なのだ。物語はいくつかある。いくつもある。
誰の話から,と迷ううちに物語と迷いが渦をまき始める。
JALのコンソメスープが並べられているのをみた。昔は国内線でも機内食が出されていて,もう10年くらい飛行機に乗らないので,現状は分からないのだけれど。
またまた,話は始まらない。予想しない邪魔は入るものだ。


2021年8月8日日曜日

惰性でやっぱりオリンピック閉会式を見ている。

東京音頭のパフォーマンスが流れた。

僕は中村さんのことを思い出した。30年以上も前の話だ。町内会に初めて夏祭りを立ち上げた。町内会を大きくした。ぼくの結婚式でずっと泣いてたおっさんだった。江戸っ子だった。

大きな材木屋さんの一人息子で,三社祭のときは盛りあがった。お酒が大好きで,ひとにご馳走するのはもっと好きだった。麻雀も好きで,お葬式のあと,長男さんが話してくれたのは「親父はつい最近,緑一色をあがったと自慢してた。」だった。

あれ以来ずっと続いていた町内会の夏祭りは去年今年と中止された。自粛だ。

今,東京オリンピックの聖火が消えました。・・・と

2021年7月8日木曜日

七夕は雨になる。と母は言ってた。

 


この季節には,母はよくあの頃のことを話していた。
七夕の飾り付けをつくりながらの昔語りをする母や父の姿をよく覚えている。
父母の青春期は戦争中だ。戦後の貧しい時代だ。
母は,七夕は雨になると言ってた。
今年の雨の被害は大きすぎる気がする。最近の雨は優しくないように思う。


2021年6月24日木曜日

医療関係のみなさんにはお世話になっています。

 


この街でもコロナワクチンの接種は,その予約は大変です。僕自身もなんとか予約が取れたものの接種は7月末,8月中旬だったのです。

ところが国全体の接種状況が混乱しており,この街の状況も混乱して・・・

先生方が動いてくださいました。僕はちょっとした病なのです。わざわざ,連絡をくださって,7月中に,2回接種が決まりました。予約手続きも解約手続きもなしです。

ずるしているようで・・・うしろめたくて,気分良いです。

2021年1月8日金曜日

青空に,ひとひらふたひら雪が待っている。こんなのは,なんというのだろう。


 昨夜から雪は降っていたとのことで,車は使えず,電車で通勤して電車で帰るとの話だ。今日は,ひとりで出社しひとりで仕事をしている。

ひとを使うのが上手な仕事のできる人物だ。3年前,わざわざ新幹線を使って病室までお見舞いに来てくれた人だ。食事よりもお酒が好きで,飲むための料理には結構うるさい。もちろんお金を払わせてくれたことはない。仕事をくれる社長さんだ。

年末のクリスマス前から,彼と年越をはさんで,たくさんの量をこなしている。この情況の前からのもともとのテレワークだから,それがコロナ騒動で量は数倍に増加している。なんてことはない。大雪の報告と,これから降るであろうお見舞いはただの挨拶で。また,1週間大変な量をこなさなくてはならない・・・そのはなしだった。

今夜の雪は積もるのだろうか。雪が降ると大騒ぎして走り回る,うれしがる女の子のことを思い出した。その姿を思い出した。その女の子も,もはや女の子ではない。おばあさんと言えば怒るだろうが・・・おねえちゃんでも,おばさんでもないようには思える。


2020年12月24日木曜日

昭和49年のクリスマスイヴは新宿にいた




 まだ,アルタはない。たしかニコウという名前のビルが建っていた。

新宿はいまほどきれいな街ではなく。雑然とした間延びした街だった。でも上京したての田舎者には立派な大都会だ。

夕刻,ぼくと小森は国鉄新宿駅にむかっていた。どうして薄汚い男がふたりしてそこを歩いていたのかは忘れてしまった。年末にはふたり別々に故郷に帰ったはずだから,ますます設定が思い出せない。

その年,ぼくは寝台特急で帰省した。新幹線はその年の春には福岡につながっていた。東京から福岡までが7時間。乗り換えて,西鹿児島まではさらに5時間だった。寝台特急では22時間もかかったのだから,おもえば大変な長旅だ。

ふたりの貧乏学生が腹をすかせて新宿駅に到着しようとする頃。雪が舞い始めた。絵にはならないふたりだった。けれど,立ち止まって街を眺めるくらいには美しかった。