鹿児島中央駅の周辺は昔とは大きく風景をかえている。駅の名前がそもそも「西鹿児島駅」だったのだ。西鹿児島駅の東側の道路は放射線状に伸びていた。いまでもそうだ。西側はすこし離れてはいたけれど丘がせまっていた。薩英戦争のときには,実際この小高い丘の上からも,大砲を撃った。・・・開国以前の話をはじめるとぼくのはなしは,前には進まなくなる。そうでなくてもすでに横道だ。
あかいとりのブログです。 モンシロチョウが一頭、空の底に向かって落ちていきました。碧く深い空の底へむかって落ちていきました。深く深く・・です。 目をこらすと様々な風景が見えてきます。
鹿児島中央駅の周辺は昔とは大きく風景をかえている。駅の名前がそもそも「西鹿児島駅」だったのだ。西鹿児島駅の東側の道路は放射線状に伸びていた。いまでもそうだ。西側はすこし離れてはいたけれど丘がせまっていた。薩英戦争のときには,実際この小高い丘の上からも,大砲を撃った。・・・開国以前の話をはじめるとぼくのはなしは,前には進まなくなる。そうでなくてもすでに横道だ。
僕の育ったこの土地は明治維新に想像以上に重きをおいている。この郷土自身が,だ。50年前には現在よりももっと顕著な地域特性だったと思う。
その年,翌年の明治100年を記念する行事がたくさん行われていた。準備されていた。我が小学校では「99年前の星」という劇が上演された。学芸会だったのかも知れない。その練習はかなり前から行われていた。たくさんの先生方や親たちもいれこんでいた。その日,その劇は,たくさんの客をまねいて午後から上演された。僕がランドセルその他の午前中の学習用具を持たずに登校したことは,かなり長い間,母の昔話のネタになった。
その頃の小学校の先生方の多くは現在も御存命だ。
そして僕の学校生活は・・・いつも,どこも,とても恵まれていた。周囲の話と比較してもかなり運のいいことなのだとは思う。
あおさが足りないとか深さが足りないなんてレベルではないのだ。雲が淀んで空を隠している。何よりモンシロチョウの白の白さが弱すぎる。もっとはっきりした白が欲しいのだ。
この騒動が落ち着いたら,季節が変わったら,モンシロチョウが落ちていきそうな空を眺めに行こうと思う。
長野の友人が送ってくれたブドウに齧り付きながら思った。
そうだ。長野へ行こう。小海線を揺られるのは好きだ。このまえ,小淵沢の駅を降りたのがいつだったか覚えてもいない。昭和だったことだけは確かだ。
どしゃぶりではない。晴れてはいない。灰色の重そうな色の雲・・こいつは私の呼吸を荒くさせるのだ。
父が与えてくれた鉛筆削りにどんな絵が描かれていたのか覚えていない。私は鉛筆削り用のカミソリが欲しかったのだ。父が小刀で器用に鉛筆を削っていたからだ。友人たちの多くが購買部で売られているカミソリを持っていたからだ。
こんな安物の鉛筆削りでも結構役に立つ。小さなカッターではたくさんの鉛筆を削るのに時間がかかる。電動鉛筆削りはウルサくて,なによりあっという間に,鉛筆を食べてしまうからだ。
あした天気になりますように。