LOVELOVE愛してる最終回だ。ことばがない。がっかりしたとか,なさけないとかではない。決してそうじゃない。
いい番組だった。吉田拓郎も歳をとった。高校生の頃,彼は,はじめて鹿児島でコンサートを開いた。「りんご」を歌ってた。彼はスターだった。
今朝から,晴れ上がっている。いい天気だ。
あかいとりのブログです。 モンシロチョウが一頭、空の底に向かって落ちていきました。碧く深い空の底へむかって落ちていきました。深く深く・・です。 目をこらすと様々な風景が見えてきます。
LOVELOVE愛してる最終回だ。ことばがない。がっかりしたとか,なさけないとかではない。決してそうじゃない。
いい番組だった。吉田拓郎も歳をとった。高校生の頃,彼は,はじめて鹿児島でコンサートを開いた。「りんご」を歌ってた。彼はスターだった。
今朝から,晴れ上がっている。いい天気だ。
このことばの列が僕にイメージをすり込んだのは,まだ京都を訪れたこともない高校生のころだった。思えば,はじめから書き込まれたイメージであの街を捉えていたのかも知れない。確か下宿屋という曲だった。
10年ほどすぎた頃。僕は先生方と一緒にその宿に泊まっていた。その聖護院の旅館は先方が準備してくれたもので,彼女は突然そこを訪ねてくれたのだった。
彼女は美人さんで,僕の知っている医者の御令嬢の中では一番いい性格だ,いまだに。
彼女の名前はちゃんと覚えている。
昨日,4回目のワクチンを打ってもらった。待機時間の間に彼女のことを思い出した。突然のことだ。理由もおそらくはない。
どうしたことか。鹿児島の最高気温が全国で一番高いわけではありません。1番どころか,2位でも3位でも・・なく番外にいます。
まあ。そんなもんでしょう。
黒板の離れたところに,「ス」と「キ」を書いて,西郷輝彦の歌の曲名をあてるクイズが流行っていた。なんどもなんども,だ。誰がやったのかは覚えていないし,だれも文句を言わずなんどもなんども,くり返されていた。小学校の頃だと思う。
ある意味で,西郷輝彦は郷土のスターだったのだ。
眼科帰りのラジオから「星のフラメンコ」が流れていた。コロナとは関係ないのだろうけれど,あれ以来,たくさんの人が亡くなっているような気がする。それに気付かされるような気がする。
昭和はもう遠い昔のお話しなのだ。
3回目のワクチンを打ちました。
帰り道・・雪が舞いました。積もるほどではありません。フロントグラスに張り付くほどでもありません。鹿児島の雪は・・雪の中で運転する技術のないものにとって,こんな根性のない雪が,まあ似合っています。
ラジオで円広志が歌っていました。愛すべき大森や大井町の風景のBGMです。開発前のごみごみとした,きたならしい町は住みやすいところでした。
友人が本を送りつけてきた。あまり仲がよかったわけではない。
むしろ,彼は僕のことが嫌いだったし,僕は彼のことが大嫌いだった。互いに互いが何を言っているのか分からない・・正確には,分からないのではなく認めたくなかったのだ。だから,周囲は僕らは仲が悪いと思っていたし,僕達はそれを否定しなかった。
だから,18年前,僕らは「じゃあな」と分かれた。それ以来,口もきいていなかった。連絡もなかったし,しなかった。
コロナ禍だから,というわけではないけれど,昨年末,突然,連絡があった。僕らは「元気だったか」とも言わず,「今,どうしているの」とも話さず,ちょっともめた。なかよく言い争いをした。
今日,30日,この本が届いた。チョムスキーの新刊だ。現在,90歳をこえる偉大な思想家のことを彼に教えたのは僕だった,むかしむかしのことだ。けれども,偉大な哲学者がこんな本を著したことを,僕は知らなかった。現役であるを知らなかった。彼は知っていたのだ。僕がそのことを知らなかったことを攻めてきたのだ。
はやく読み終えて,喧嘩しなければならない。
彼とは仲がよいわけではない。けれども,大切な友人なのだ。