あかいとりのブログです。 モンシロチョウが一頭、空の底に向かって落ちていきました。碧く深い空の底へむかって落ちていきました。深く深く・・です。 目をこらすと様々な風景が見えてきます。
2021年7月8日木曜日
七夕は雨になる。と母は言ってた。
2021年6月24日木曜日
医療関係のみなさんにはお世話になっています。
この街でもコロナワクチンの接種は,その予約は大変です。僕自身もなんとか予約が取れたものの接種は7月末,8月中旬だったのです。
ところが国全体の接種状況が混乱しており,この街の状況も混乱して・・・
先生方が動いてくださいました。僕はちょっとした病なのです。わざわざ,連絡をくださって,7月中に,2回接種が決まりました。予約手続きも解約手続きもなしです。
ずるしているようで・・・うしろめたくて,気分良いです。
2021年1月8日金曜日
青空に,ひとひらふたひら雪が待っている。こんなのは,なんというのだろう。
昨夜から雪は降っていたとのことで,車は使えず,電車で通勤して電車で帰るとの話だ。今日は,ひとりで出社しひとりで仕事をしている。
ひとを使うのが上手な仕事のできる人物だ。3年前,わざわざ新幹線を使って病室までお見舞いに来てくれた人だ。食事よりもお酒が好きで,飲むための料理には結構うるさい。もちろんお金を払わせてくれたことはない。仕事をくれる社長さんだ。
年末のクリスマス前から,彼と年越をはさんで,たくさんの量をこなしている。この情況の前からのもともとのテレワークだから,それがコロナ騒動で量は数倍に増加している。なんてことはない。大雪の報告と,これから降るであろうお見舞いはただの挨拶で。また,1週間大変な量をこなさなくてはならない・・・そのはなしだった。
今夜の雪は積もるのだろうか。雪が降ると大騒ぎして走り回る,うれしがる女の子のことを思い出した。その姿を思い出した。その女の子も,もはや女の子ではない。おばあさんと言えば怒るだろうが・・・おねえちゃんでも,おばさんでもないようには思える。
2020年12月24日木曜日
昭和49年のクリスマスイヴは新宿にいた
まだ,アルタはない。たしかニコウという名前のビルが建っていた。
新宿はいまほどきれいな街ではなく。雑然とした間延びした街だった。でも上京したての田舎者には立派な大都会だ。
夕刻,ぼくと小森は国鉄新宿駅にむかっていた。どうして薄汚い男がふたりしてそこを歩いていたのかは忘れてしまった。年末にはふたり別々に故郷に帰ったはずだから,ますます設定が思い出せない。
その年,ぼくは寝台特急で帰省した。新幹線はその年の春には福岡につながっていた。東京から福岡までが7時間。乗り換えて,西鹿児島まではさらに5時間だった。寝台特急では22時間もかかったのだから,おもえば大変な長旅だ。
ふたりの貧乏学生が腹をすかせて新宿駅に到着しようとする頃。雪が舞い始めた。絵にはならないふたりだった。けれど,立ち止まって街を眺めるくらいには美しかった。
2020年11月25日水曜日
鹿児島中央駅まえの「若き薩摩の群像」の像を背にすると
鹿児島中央駅の周辺は昔とは大きく風景をかえている。駅の名前がそもそも「西鹿児島駅」だったのだ。西鹿児島駅の東側の道路は放射線状に伸びていた。いまでもそうだ。西側はすこし離れてはいたけれど丘がせまっていた。薩英戦争のときには,実際この小高い丘の上からも,大砲を撃った。・・・開国以前の話をはじめるとぼくのはなしは,前には進まなくなる。そうでなくてもすでに横道だ。
2020年11月18日水曜日
明治100年の前年,僕は小学6年生だった。
僕の育ったこの土地は明治維新に想像以上に重きをおいている。この郷土自身が,だ。50年前には現在よりももっと顕著な地域特性だったと思う。
その年,翌年の明治100年を記念する行事がたくさん行われていた。準備されていた。我が小学校では「99年前の星」という劇が上演された。学芸会だったのかも知れない。その練習はかなり前から行われていた。たくさんの先生方や親たちもいれこんでいた。その日,その劇は,たくさんの客をまねいて午後から上演された。僕がランドセルその他の午前中の学習用具を持たずに登校したことは,かなり長い間,母の昔話のネタになった。
その頃の小学校の先生方の多くは現在も御存命だ。
そして僕の学校生活は・・・いつも,どこも,とても恵まれていた。周囲の話と比較してもかなり運のいいことなのだとは思う。
2020年11月17日火曜日
彼女に出会ったのは明治100年のことだ。





